2025年2月28日を持ちまして、このバージョンのエグゼクティブクラブのシステム開発を終了したことをここにご報告申し上げます。
今後は移行後の新しいコミュニティで運営を続けてまいります。
ただのイチ物販プレイヤーだった私が、情報発信を続けたことで仲間が増え、小さいながらもコミュニティの運営者になることができました。
この楽しい楽しいひと時を、いかにして継続し、そして会員の皆様に満足いただくか。
そればかりを考えて会の運営を続けてまいりました。
自分の実績と、会員の実績を上げることを第一番に考えながらも、やはり縁の下の力持ちとしてのシステム開発があります。
このサイトは、私がサーバーを立ち上げ(L)、Webへ公開し(E)、データベースを設計して作成し(M)、プログラム言語(P)で書きました。
プレーンの状態からこのシステムを完成させたことで、私はフルスタック(LEMP)のエンジニアを自称する自信に繋がりました。
html+CSS、そしてOSのUbuntu、データベースのMySQL、WebサーバーとメールサーバーのNginx、そして言語のPHPとJavascript。
私はコードが書ける人が羨ましかった。
とてつもなくかっこよく見えた。
以前システム開発をお願いしてたエンジニアに、たまに小馬鹿にしたように諭されたけど私はその意味を理解したかった。
へーなんかわからないけど、魔法みたいですごい!
利益の出る商品をリサーチしてるとき、自分で作ったツールで全自動でスクレイピングすれば超儲かるのにと思ってた。
不純な動機からスタートし、Nijuyonの開発を担当してもらってたエンジニアの学習法「分かんなくてもいいから写経する」という言葉を頼りに、英語のプログラミング講座を取って、300時間写経しました。
そして最初はphpQueryからcURL、続いてSeleniumへと進化し、取得する量が増えるたびにMySQLの構造を変え、joinし、サーバーとIPアドレスを増やし、メモリと戦いました。
いよいよ自分で開発ができるようになってきたので、エグゼクティブクラブのサイトも自分で作りたくなってきた。
入会希望者がアカウントを作成すると、決済システムとメール配信サービスのAPIで飛ばし、MySQLに登録してコンテンツの閲覧が可能になる。
世の中にないものを、作りたいというモチベーションがありました。
当時Udemyはあったけど、Teachableのようなサービスは存在してなかったのです。
デザインはThemeForestで探しました。
フロントエンドはテンプレ買って、モックアップ(静的ページで実装)してから動的に置き換える。
物販で一生分稼いで夢を叶え、シンガポールに移住してから、家族は旅行気分でした。
豪華客船でシンガポールからマレーシアまで家族で船旅をしている間、私は船上でもオフラインのVScodeでPHPをずっと書いてました。
家族は呆れてたけど私はいつまでも、いつでも、もっと上を目指したかったんだ。
フロント開発が終わると次はバックエンド開発に入ります。
入会金と月額会費を分けずにワンクリックで完了したいと考えていました。
ワンタイム決済が終わったら、そのまま月額決済ができるようにAPIを組みました。
大変だったのは、月額決済の方でした。
初回の決済、2か月目で退会した場合(半年は退会しないという約束)、3か月目で決済が失敗した場合、7か月目で退会した場合など、条件分岐が物凄くたくさんありました。
そのエラーをテストするのに何か月も待ってられないので、テストモードで時空を超えて(タイムスタンプを変えて)何度も何度もテストしました。
もはや何年何月何日なのか、これはテスト決済なのか本番なのかも分からないぐらい頭がぐちゃぐちゃになりました。
おかげで本番で決済が成功しても、どこか他人事というか、本当に起こったことなのか全く実感が湧きませんでした。
続いて、同時に進行していた物販専門Webメディアがコロナ禍でめちゃめちゃバズり、サーバーが500エラーで飛ぶようになりました。
レンタルサーバだったので、他に迷惑が掛かるから改善しないとBANすると言われ、急遽サーバの移転が必要になりました。
GUIのWinSCPでバックアップ取ろうとしたら当時3000記事ぐらいあったので完了まで3日間という表示が出て、こりゃアカンと。
コマンドの学習コストが1週間だと把握すると、今から人を雇うよりも自分でやった方が早いという決断をしてしまいました。
最終的には黒い画面でコマンドを必死で叩き、コマンドからrsyncで丸ごと同期に成功しました。
でも、しばらくはsshの鍵認証でログインすることすらできず、もう駄目だ、もう駄目だ。逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだと1人で戦っていたのを覚えています。
「すがすがしい日だよな外は。小鳥は歌い、花は咲き乱れ・・・こんな日こそ、お前さんみたいな子供には・・・」そこから戦いが始まるのです。UndertaleのSans戦のように。
その後は、紆余曲折ありましたが、無事生きてます。
チーム開発のためにgitでGithubしました。
「ログインが書ければ独立できる。」
このログインページには、私の思い出がいっぱい詰まっています。
ログインページなんて、どんなシステムにもあるのに、一番開発の難易度が高かったのは、どこにでもあるログインページでした。
さて、時は変わって生成AIが誕生したおかげで、これらの努力は水の泡必要なくなりました。
この専門分野はもはやレガシーなのです。
これからはむしろ、自ら開発するより、選んで持ってた方がコスパが良い時代がやってきます。
プログラミングの勉強も必要なくなりました。
もう、自分で開発することは無いでしょう。
この思い出話も、ただでさえコンピューターに抵抗のある初心者にドヤ顔でマウントしても引かれるだけなので、ここに書き留めておくだけにします。
私の大切な思い出と、記憶を石碑のように留めておきたくて。
ただ1つだけ心残りなのは、このサイトを移行するにあたって2013年9月26日と2012年8月20日に入会いただいた超超古参の会員さんが本日までに移行してくれなかったので、やむなく私の方から課金をストップしたことです。
10年以上、ずっと続けてくれたあなたたちと、私は離れたくありません。
もし、この文章を読んでいたら連絡をください。
しばらくは楽しくYouTubeをやっているはずです。
それでも、私はやり切った。
次のコミュニティではこんな風に開発者のコメントを残すことなんてできないけど(root持ってないからね)、一度開発者らしくプログラム用語と横文字だらけのエモい文章を書いてみたかったんだ。
お疲れ様。ありがとう。
2025年2月28日
吉田ゆうすけ
P.S. 1名その後移行の連絡ありました。嬉しいな。これ書いて良かったな。